裸になるのが嫌だった

学校くらいから、水泳の授業で海パンになるのが恥ずかしかった。
ガリガリで貧相な体を晒すのが嫌だった。
どうせ自分の体なんて誰も見ていないのだろうけれど、見られるという以前に、他人がいるところで、たとえ上半身だけであっても裸になるのが嫌だった。
恥ずかしくていたたまれなくて居心地が悪かった。

中学の運動会の演目として男子には組体操があった。
ここでも上半身は裸にならなければいけなかった。
組体操自体も嫌だったけれど、裸にならなくてはいけないのが本当に嫌だった。
運動会には服を着た観覧者がいるので、いっそう晒し者にされたような屈辱感といたたまれなさを感じていた。

テレビではタレントの人たちが裸になっている。
たいていは笑いの対象で、晒し者になっているように感じた。
それを見るのが本当に居心地が悪かった。
自分のことではないのに、自分と同じ属性を持つ人の体がぞんざいに扱われているのが辛かった。

男が裸になることを恥ずかしがることは許されない雰囲気がある。
裸になることを恥ずかしがっていると、オカマみたいだと揶揄された。

「男は裸になることが平気である。平気であるべきだ」
そんなことはない。
僕は人前で裸になるのは嫌だった。今だって嫌だ。

テレビの表現や、その他なにかを規制したいわけじゃない。
なにかを糾弾したいわけでもない。
でも、上半身であっても裸になることに抵抗を覚える男もいるんだということを小さく記しておきたい。

男であっても自分の裸を、自分の体を大切にしてもいいはずだ。